大学を卒業した朝、 僕の頭の中は、空白だった。
何かをやり切った感覚も、 胸を張れる実績も、 次に進むための確かな自信もなかった。
教員採用試験は不合格。
それも、予想通りの結果だった。
大学4年間、 真剣に自分と向き合わなかった。
そのツケが、 はっきりと形になって返ってきただけだった。
でも、 生きていくためには、 働かなければならない。
実家に戻り、 仕事情報誌をめくり、 ハローワークにも足を運んだ。
適性検査の結果をもと、 職員さんが持ってきた仕事は、 うなぎの養鰻場だった。
うなぎ釣りは好きだった。
でも、教師を目指していた僕には、 あまりにも異質に感じて、断った。
両親は、 実家で過ごすことを受け入れてくれた。
でも、「働こうね」という無言の圧力は、 はっきりと感じていた。
当時は、就職氷河期。
正規職員の道は、 今よりずっと狭かった。
なんとなく、 福祉に興味があった。
自分自身、 身体のことで悩んできたこともあり、 「自分ではどうにもならない事情を抱えた人を支える仕事」 に、 漠然とした関心があった。
強い志があったわけではない。
ただの直感だった。
求人誌で目に留まった、 ある障害者更生施設の支援員のアルバイト。
面接を受けると、 施設長は、 「明日から来てほしい」と言った。
自分の身体の悩みを話すと、 親身に聞いてくれた。
4月から、 アルバイトとして働き始めた。
大学4年間という時間を考えると、 アルバイトからのスタートは、 正直、情けなかった。
でも、 氷河期の現実の前では、 そんなことを言っていられなかった。
必死だった。
食事介助、入浴介助、生活支援。
正規職員の補助として、 とにかく目の前の仕事をこなした。
やってみると、 不思議と、はまっていった。
楽しかった。
半年も経つ頃、 「この年齢でアルバイトはきつい」 と感じるようになった。
仕事内容にも慣れ、 思い切って、 準正規職員への登用をお願いした。
提示された給与は、 正直、低かった。
父が紹介してくれるかもしれなかった企業よりも、 ずっと。
それでも、 僕はここに残ることを選んだ。
準正規職員になると、 立場は大きく変わった。
アルバイトをまとめ、 責任ある仕事を任されるようになった。
夜勤も経験した。
夜の施設は、 独特の緊張感があった。
1年後、 正規職員になった。
だけど、すぐに出向。
生活支援から、 作業指導・作業支援の部署へ。
納期、不良品、謝罪、工賃計算。
まったく初めての世界だった。
新鮮で、楽しかった。
でも、 人間関係と、支援の難しさに、 何度もつまずいた。
感情が乱れ、 怒り、落ち込み、 自分を保てなくなることもあった。
そして、 決定的な失敗をする。
軽率な言葉が、 セクハラとして受け取られた。
問いただされ、謝罪した。
同時期に、 別の女性からも苦情があった。
自分の未熟さが、 一気に露呈した瞬間だった。
正気を失っていたのだと思う。
配置換えを命じられた。
作業支援へ。
ちょうどその頃、 長年交際していた彼女と結婚した。
新婚生活が始まった。
不思議なことに、 作業支援の仕事は、 自分に合っていた。
活動的で、 前向きな気持ちで働けた。
4年が過ぎ、 副主任を任された。
少しだけ、 自信が戻ってきた。
そんなある日、 大学の同級生の結婚式に招待された。
ゼミの仲間が集まる席。
そこには、 現役合格で教師になった友人、 大学院を経て採用された友人がいた。
学級担任として、 子どもたちと笑顔で写る写真。
胸の奥で、 何かが、激しく動いた。
悔しさ。
羨望。
怒り。
「俺は、何をしているんだ」
その感情から、 逃げられなかった。
27歳。
僕は決めた。
教師になる。
28歳、2回目の教員採用試験。
特別支援学校を選んだ。
結果は、 一次合格、二次不合格。
模擬授業で、 絵本を“読み聞かせる”意味すら、 分かっていなかった。
当然の結果だった。
それでも、 ここで終わらなかった。
今振り返ると、 この時期の僕は、 不格好で、未熟で、 どうしようもなかった。
でも、 人生を投げなかった。
これだけは、 胸を張って言える。
迷っている君へ
もし今、 「自分は何も持っていない」 そう感じているなら、 それは君だけじゃない。
僕も、 何者でもないところから、 何度もやり直した。
遠回りは、 確かに苦しい。
でも、 遠回りをした人間にしか、 見えない景色がある。
この先、 僕はもう一度、挑む。
まだ続きがある。
それは、 また次の話で。