二十八歳で受けた教員採用試験は、不合格だった。
一次試験は通ったけれど、二次試験で落ちた。
今思えば理由は明確だ。
「絵本を読んでください」と言われて、 僕は、ただ自分に向かって本を読んでいた。
読み聞かせ、という意味が分からなかった。
子どもに向けて、という発想がなかった。
スキルも、経験も、見通しもなかった。
不合格になるのは、ある意味で当然だった。
二十九歳。
障害のある方の作業支援の現場で、副主任として働きながら、 人生で三回目の教員採用試験に挑んだ。
正直、この年のことはあまり覚えていない。
ただ一つ、はっきり覚えていることがある。
結果が出たあと、妹に言われた言葉だ。
「兄ちゃんは、何回受けたって受かんないよ」
その言葉は、思った以上に深く刺さった。
怒りよりも、ショックのほうが大きかった。
実の妹から言われた言葉だったからだ。
もしかしたら、 自分には教師になれない“何か”があるんじゃないか。
性格かもしれない。
人間関係の下手さかもしれない。
身体のことかもしれない。
そんな考えが、頭の中をぐるぐる回り始めた。
卑屈になりそうだった。
自分で自分を否定してしまいそうだった。
その時、はっきりと僕の側に立ったのが、妻だった。
毎朝、仕事前に勉強している姿を、 誰よりも近くで見ていた人だ。
「そんなこと、絶対にない」
妻は、はっきりそう言った。
そして、僕をそのままの足で、 教員採用試験専門の予備校に連れていった。
その日のうちに入校した。
三十歳。
人生で四回目の教員採用試験に向けて、 週末と祝日を使って、予備校に通い始めた。
社会人で予備校に通うのは、少し恥ずかしかった。
でも、それ以上に強かったのは、「このまま終わりたくない」という気持ちだった。
大学受験で一度つまずき、 浪人して予備校に通い、 ようやく進みたい場所に辿り着いた過去。
あの時と、どこか似ている感覚があった。
予備校では、二次試験の模擬授業を、 具体的に、丁寧に教えてくれた。
「こうやって導入するんだ」
「子どもは、ここで反応する」
ようやく、見通しが持てた。
試験前日、 いつも通っていたスポーツジムのヨガに参加した。
不思議なほど、心と身体が整った。
力が抜けて、自然体になれた。
翌日の二次試験。
模擬授業の内容は、前年度とよく似ていた。
焦らなかった。
頭も身体も、自然に動いた。
あの感覚は、今でも忘れられない。
結果は、合格だった。
妻に報告すると、 一緒に泣いて喜んでくれた。
あの時、 妻が背中を押してくれなかったら、 僕は合格していなかったと思う。
母や祖父母にも報告した。
遠回りだったけれど、ようやく辿り着いた。
施設長に退職の報告をすると、 微妙な表情をしながらも、 送別会を開いてくれた。
門出を祝う、日本酒をもらった。
あの時、「がんばれよ」 そう言ってくれていたんだと思う。
振り返れば、 劣等感と向き合いながらの挑戦った。
身体のこと。
人間関係のつまずき。
妹の言葉。
それでも、僕はもう一度、教師を目指した。
目標がはっきりしたとき、 人は少しだけ、強くなれる。
遠回りでも、 遅くても、 立ち止まっても、選び直すことはできる。
それを、三十歳の僕は、ようやく知った。