教員になれば、 何かが一気に変わると思っていた。
教師という肩書きを手に入れれば、 迷いは終わり、 自分の立ち位置も、役割も、 自然と見えてくるのだと。
でも、現実は違った。
初任の地は、県内の遠方。
海の近くで、自然豊かな場所だった。
釣りが趣味の私にとっては、 正直に言えば、心が躍る土地でもあった。
一方で、 妻は仕事を辞め、 見知らぬ土地での生活を始めることになった。
引っ越しの車の中で、 妻はほとんど言葉を発しなかった。
その沈黙の意味を、 当時の私は、深く考えようとしなかった。
「きっと大丈夫だろう」
そう思うことで、 自分の不安から目をそらしていたのかもしれない。
教員としてのスタートは、 決して順風満帆ではなかった。
慣れない仕事。
次々と飛んでくる注意。
覚えることの多さ。
空回りする毎日。
一か月ほどで、私は肺炎になり、 入院することになった。
今思えば、 心も体も、限界に近かったのだと思う。
それでも復帰後、私は「踏ん張る」ことを選んだ。
人に頼るより、 自分でやった方が早い。
自分でやった方が、確実だ。
そう信じて、 教材を自費で作り、 夜遅くまで準備を重ねた。
その授業を見た研修指導主事から、 「いい実践ですね」 と声をかけられたとき、 素直に嬉しかった。
子どもたちが生き生きと活動している。
自分の考えた教材が、確かに届いている。
その手応えが、 私をさらに「一人で踏ん張る方向」へと 押し出していった。
三年目、 私は分掌の課長に任命された。
けれど、 人と協力することが、うまくできなかった。
意見をすり合わせること。
役割を分担すること。
任せること。
どれも、面倒で、怖くて、 どこか避けていた。
結果、 自分を追い込み、 周囲との溝を深め、 ついには感情を爆発させてしまった。
子どもの前で、 同僚に怒鳴ってしまったあの日のことは、 今でも忘れられない。
叱責を受け、降格し、 深く反省した。
あの出来事は、 私が「一人で踏ん張る限界」を初めて突きつけられた瞬間だった。
それでも、 最後の年。
配置換えされた部署では、 周囲の先生方に支えられ、 少しずつ、 「一緒にやる」という感覚を学び始めていた。
うまくはなかった。
ぎこちなかった。
それでも、 人と関わろうと意識する自分がいた。
学び直しを始め、 通信制大学で免許を取得したのも、この頃だった。
風向きが、 少しずつ変わっていった。
振り返れば、 あの初任地での数年間は、 ひとりで踏ん張り、 空回りし、 傷つき、 それでも前に進もうとしていた時間だった。
決してスマートではなかった。
誇れることばかりでもない。
でも、 あの時間があったからこそ、 「人とつながること」をようやく大切だと思えるようになった。
それは、 完成ではなく、 スタートだった。
海のそばの学校で、 ひとり踏ん張っていたあの頃。
私はまだ未熟だった。
けれど、 確かに、舵を切り始めていた。