40代前半で、 僕は息子を授かった。
結婚してから、 ずいぶん長い時間が過ぎていた。
だから、その喜びは、 自分でも驚くほど大きかった。
生まれたばかりの息子を見て、 家に帰ってから、 気づいたら涙があふれていた。
嬉しかったのだと思う。
それだけじゃない。
守るべきものが、 はっきりと目の前に現れた。
今になって振り返ると、 あの頃から、 仕事に向かう色合いが、 少し変わったような気がしている。
意識していたわけではない。
「父親として頑張ろう」と 気合いを入れた覚えもない。
もっと、 静かで、 本能に近い感覚だった。
この子を、 妻と一緒に育てる。
守る。
経済的にも、もちろん支える。
そうした思いが、 言葉になる前のところで、 確かに芽生えていたのだと思う。
不祥事研修を受けたとき、 自分でも意外な反応をしたことを、 今でも覚えている。
ハラスメントの被害者が負う、 心の傷。
それについて考えるのは、 もちろん大切なことだ。
でも同時に、 それ以上に強く浮かんできたのは、 こんな思いだった。
もし、 自分の軽率な言動ひとつで、 子どもや妻の人生に、 取り返しのつかない影を落としたら。
その想像は、 とても怖かった。
守るものができると、 倫理やルールが、 急に現実の重さを帯びる。
抽象的な「正しさ」ではなく、 具体的な「誰かの生活」に、 直結して感じられるようになる。
息子への愛情は、 それまで知っていた愛とは、 少し違っていた。
「かわいい」という言葉では、 足りない。
もっと、 静かで、 あたたかくて、 大きなもの。
「愛おしい」という言葉が、 いちばん近い。
恋愛のように、 感情が激しく揺れるわけではない。
でも、 常に心のどこかにあって、 揺らがない。
その存在があるだけで、 心がどしんと安定する。
この感覚は、 仕事の向きにも、 少しずつ影響していったように思う。
それまでの僕は、 どこか「自分が」「自分が」と、 前に出る力の使い方をしていた。
成果を出すこと。
評価されること。
一人でやり切ること。
でも、 子どもの成長を見守る中で、 力の使いどころが、 自然と変わっていった。
育てる。
支える。
待つ。
信じる。
すぐに結果は出ない。
でも、 確実に、 次につながっていく。
主任や課長として、 チームマネジメントに関わる中で、 その変化は、 よりはっきりとした形になった。
自分が前に出るよりも、 チームが力を発揮できる構造を整える。
一人で抱え込むよりも、 協働して、 より大きな力を生み出す。
それは、 性格が変わった、という話ではない。
「何に力を使うか」が、 変わったのだと思う。
この話を読んでいる若い人の中には、 「守るものなんて、まだない」と思う人もいるかもしれない。
それでいい。
守るものは、 最初から見えているとは限らない。
人。
仕事。
役割。
信念。
あるいは、 まだ形になっていない未来。
いつか、 「これは手放せない」と思うものが、 ふと現れることがある。
そのとき、 人は突然、 強くなるわけじゃない。
ただ、 力の向きが、 少し変わる。
その変化は、自分でも気づかないくらい、 静かに始まる。
僕は今、 息子の成長を見守りながら、 仕事の中でも、 誰かの成長を支える側に立つことに、 確かな充実感を感じている。
この話も、 まだ途中だ。
守るものは、 これからも増えるかもしれないし、 形を変えるかもしれない。
でも、 力の使い方が変わったという感覚だけは、 これからも、 自分の中に残り続ける気がしている。