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第21話 チームは「強さ」より「聴く力」で回る

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若いころの僕は、強いほうが正しいと思っていた。

会議では、知っていることは全部出した。

相手の意見に疑問があれば、正面からぶつけた。

論破しようと思っていたわけではない。

でも、結果的にそうなっていたと思う。

事は進んだ。

評価ももらった。

子どもたちからの反応も悪くなかった。

でも、どこかつまらなかった。

仕事は回る。

でも、なんとなく孤立している。

成果は出る。

でも、帰り道が静かすぎる。

「成果は出しているのに、なぜか虚しい」

いま振り返ると、あの感覚が、僕の最初の違和感だった。

ある日、よく一緒に過ごしていた同僚が、突然僕と距離を置いたことがある。

理由は、僕のひとりよがりな行動だったらしい。

当時は自覚がなかった。

でも彼にとっては、裏切られたような気持ちだったのだと思う。

あのとき失ったものは大きい。

成果よりも、信頼のほうが重かったのだと、 ずっとあとになって気づいた。

僕は一時期、授業づくりも一人で突き進んでいた。

自分なりの理想を追いかけ、準備も工夫も全部自分でやる。

子どもたちの反応は悪くなかった。

でも、チームとしての一体感はなかった。

教育は個人競技ではない。

それを、僕は長い時間をかけて学んだ。

事は進む。

でも、つまらない。

その正体は、協働の欠如だった。

転機は、意外と日常の中にあった。

職員で参加した大会や行事で、 「あーだこーだ」と言いながら方向性を揃えていく時間が、やけに楽しかった。

情報を共有し、役割を話し合い、 うまくいかなくても笑い合える。

あれが、チームの力だった。

40代に入って、ようやくわかった。

強さよりも、聴く力のほうが、場を回す。

先日、重要な会議で進行役を任された。

昔の僕なら、知見を前面に出していただろう。

でも今回は違った。

僕の役割は交通整理役。

「みなさん、どうでしょうか」

「〇〇さんはどう思いますか」

うなずき、聴き、復唱する。

多少、自分の所見と違う結論もあった。

でも、方向性は合っている。

重大な誤りではない。

何より、みんなで決めたことに意味がある。

終わったあと、不思議と清々しかった。

目立っていない。

主張も最小限。

でも、満足していた。

ああ、これが協働か、と思った。

数年前、ある先輩から言われた言葉がある。

「おたがいさま」

誰かが困難に直面したとき、 体調を崩したとき、 思うように動けなくなったとき。

「明日は我が身。おたがいさま」

人生は思い通りにはいかない。

予期せぬ出来事は、誰にでも起こる。

だからこそ、 いま動ける自分が、動けない誰かの分を少し担う。

それが「おたがいさま」だ。

若いころの僕は、自分さえよければよかった。

いきがっていた。

強さで押していた。

それでもいい。

若いときは、そういう時期があってもいい。

でも、いつか気づく日が来る。

一人で勝つより、 みんなで決めたほうが、ずっと気持ちがいい。

強くあるより、 聴けるほうが、長く続く。

失敗はたくさんする。

衝突もある。

でも大丈夫。

その痛みは、あとから必ず、 協働の意味を教えてくれる。

いまの僕も、完璧じゃない。

承認欲求も湧くし、 ときどき熱くなる。

それでも、自分の価値は、自分でつくる。

チームは、強さよりも聴く力で回る。

迷っている君へ。

焦らなくていい。

いきがってもいい。

でも、その先にある景色を、どうか忘れないでほしい。

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