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第14話 怒鳴ってしまった過去がある人へ

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人は、反省すれば変われる。

そんなふうに、簡単にはできていない。

僕には、怒鳴ってしまった過去がある。

そして正直に言えば、 今も、生徒指導の場面で、 大きな声で叱責することが、まったくないわけではない。

だからこの話は、 「昔は未熟だったけれど、今は違う」という話ではない。

今も揺れながら、 それでも現場に立ち続けている人間の記録だ。

教員になって間もないころ、 一緒に仕事をしていた若い女性の先生に、 僕は、子どもの前で怒鳴ってしまった。

当時の自分は、正気だったとは言えない。

仕事の進め方をめぐって、 細かな指摘を受けることが増え、 それを「協働」ではなく、 「干渉」だと感じていた。

一人で完結したい。

自分のやり方でやりたい。

そんな独りよがりな感情が、 知らないうちに積み重なっていた。

そして、ある瞬間、 感情が決壊した。

子どもの前で、 怒鳴ってしまった。

取り返しのつかないことだったと、 後から、何度も思い返すことになる。

年度末が近い時期だった。

あと一か月、耐えていれば、 配置換えの時期だった。

上司から言われた 「いっちゃったか……」 という言葉は、 今でも耳に残っている。

結果として、配置換えになり、 その街を去ることになった。

あの、海のある遠方の街。

僕が、心から好きだった場所。

でも、そこはもう、 戻れない場所になった。

「出禁だよ」と、 冗談とも本気とも取れる調子で、 言われたこともある。

もう十年以上前の話なのに、 その言葉は、 僕の中で、今も消えていない。

それは、罰だったのかもしれない。

あるいは、 ただの結果だったのかもしれない。

はっきりしているのは、 解決できていない過去が、 今も、僕の中に残っているということだ。

謝って終わる話ではない。

反省して回収できる話でもない。

戻れない場所がある。

戻れない自分がいる。

それを、 なかったことにはできない。

二校目の学校でも、 生徒指導の場面で、 僕は、かなりきつく叱責してしまったことがある。

授業中、何度注意しても悪ふざけが止まらない生徒。

暴れて、友達や教師に暴力が出てしまう生徒。

安全を守るために、 止めなければならない場面がある。

そのとき、 僕は怒鳴っているのか、 叱責しているのか、 今でも、はっきりとは言い切れない。

怒るふりをしているのか。

本気で感情が動いているのか。

正直に言えば、 その二つは、混ざっている。

だから、釈然としない。

自分は感情コントロールに問題があるのではないか。

そんなふうに、 今でも考えることがある。

いつからか、 僕は瞑想や呼吸を、生活の中に取り入れるようになった。

思い出すのは、 30歳で教員採用試験を受けた前日。

ヨガ教室で、呼吸を整えたときの感覚だ。

あの、少し整った感じ。

身体の中に、 静かさが戻ってくる感じ。

それが、 アンガーマネジメントのような効果を 持つのかどうかは、分からない。

今も、朝の時間に、 10分ほど、呼吸に意識を向けている。

劇的な変化はない。

怒鳴らなくなったわけでもない。

ただ、 厳しい叱責をする前や後に、 深呼吸をしている自分がいる。

それが変化なのかどうかも、 正直、よく分からない。

でも、 正気を失わずに、 今日も現場に立っている。

それだけは、確かだ。

今になって思う。

あの出来事をきっかけに、 僕は「変わった」のではない。

ただ、 生き延びる過程の中で、 気づかないレベルで、 少しずつ、変わろうとしていたのだと思う。

独りよがりの仕事は、 必ず破綻する。

仲間と情報を共有し、 意見を出し合い、 あーでもない、こーでもないと言いながら、 形にしていく。

その感覚が、 頭ではなく、 身体の感覚として分かるようになるまで、 随分、時間がかかった。

それが、 あの苦い経験だけのおかげかどうかは、 分からない。

でも、 無関係ではないと思っている。

もし、 怒鳴ってしまった過去があって、 それを今も引きずっている人がいたら。

その傷は、 簡単には消えないかもしれない。

解決できないまま、 生き続けることになるかもしれない。

でも、 消えないからこそ、 人との関わり方が、 静かに変わっていくこともある。

回復は、 きれいな物語にならなくてもいい。

戻れない場所があってもいい。

納得できない過去があってもいい。

それでも、 生き延びる。

その中で、 気づかないうちに、 少しずつ、 人は変わっていくのかもしれない。

この話も、 まだ途中だ。

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