実家のある地に戻ってきたのは、 子どもが生まれたことが大きかった。
妻の強い希望もあった。
僕自身も、両親のことが心配だった。
正直に言えば、海のそばの町を離れることには、未練があった。
でも、家族の意向を無視することはできなかった。
引っ越しの日、父や叔父たちが、バイクや冷蔵庫を運ぶのを手伝ってくれた。
黙々と動く背中を見ながら、 「ありがたいな」と、何度も思った。
再び官舎での生活が始まった。
子どもは日に日に成長していった。
おんぶして田舎道を歩いた。
夕暮れ、地面に座って一緒に空を眺めた。
夏には駐車場に簡易プールを出して遊んだ。
子どもが生まれた瞬間、 胸の奥から、これまで経験したことのない感情が湧き上がった。
守るべき存在ができると、人は強くなる。
それは、きれいごとじゃなかった。
この子を守る。
責任をもって育てる。
その覚悟が、自然に、当たり前のように、身体の中に根を下ろした。
仕事では、三校目の学校に赴任した。
これまでとは、また違うステージだった。
いきなり学年主任を任された。
初めての「まとめ役」。
正直、不安しかなかった。
人間関係で何度もつまずいてきた自分に、 チームをまとめることができるのか。
それでも、やるしかなかった。
先生方に教えを請いながら、 必死に食らいついた一年目。
大きなトラブルはなかったが、 上司からの叱責は厳しかった。
少しのミスでも指摘され、 心はすり減った。
家では酒を飲み、妻に愚痴をこぼした。
今思えば、妻には本当に申し訳なかった。
それでも、 「主任として、チームを守る」
その意識だけは、確かに芽生えていた。
二年目、配置が変わった。
今度は主任ではなくある分掌の課長。
学校運営の根幹に関わる分掌だった。
人事の意図は分からない。
たまたま空いたポストだったのかもしれない。
でも今は、はっきり思う。
――この役割を与えてくれた管理職には、感謝している。
課長として、 課題を集約し、 情報を集め、 関係者と話し、 素案を作り、 提案する。
それが、驚くほど楽しかった。
大学院で身につけた 調べる力、考える力、書く力が、 そのまま生きた。
特に忘れられないのは、ある業務上の処理を見直したときのことだ。
手書きで行われ、 ミスも多く、 負担の大きい業務。
「なんとかできないか」 そう思い、関係者と話し、 他の分掌とも連携し、 スプレッドシートを使った仕組みを構想した。
根回しをして、 仮説検証をして、 管理職に相談し、 企画運営会議に提案した。
承認されたとき、 胸の奥がじんわりと熱くなった。
――ああ、これが仕事なんだ。
一人で抱え込むのではなく、 みんなで形にしていく。
その中心に、自分がいる。
もちろん、すべてが順調だったわけじゃない。
揶揄してくる人もいた。
「暇なの?」
「前の部署でうまくいかなかったんでしょ?」
最初は笑って流した。
でも、しつこかった。
だから、距離を取った。
関わらないことを選んだ。
昔の自分なら、 我慢するか、爆発するか、 どちらかだった。
でもこのときは、違った。
――距離を選ぶ。
それでいいと、思えた。
また、ベテランからの口出しに 腹が立つこともあった。
でも、耳を傾けると、 納得できる部分も多かった。
「取り入れる」
「飲み込む」
「折れる」
その使い分けを、少しずつ覚えていった。
現場では、 若いリーダーたちがグループをまとめていた。
彼らは優秀だった。
でも、どこか不安そうだった。
そんなとき、 彼らは僕のところに来た。
話を聴き、 必要なときは一緒に考え、 違うと感じたときは、 進むべき道を示した。
――こんな役割を担うのは、人生で初めてだった。
気づけば、教職員サッカー大会でも、 監督兼マネージャーのような立場になっていた。
チームを一つにすること。
人を生かすこと。
それが、楽しかった。
振り返って思う。
僕は、人間関係が苦手だったのではない。
「一人で踏ん張るしかない」と思い込んでいただけだった。
役割が与えられ、 目的が共有され、 仲間と進む道が見えたとき、 僕は、ようやく呼吸ができた。
子どもが生まれ、 守るべきものができた。
仕事でも、 守るべきチームができた。
ここから、 僕はまた次のステージへ進んでいく。
迷いながらでもい。
不器用でもいい。
一人で踏ん張らなくていいと、 このとき、ようやく知ったのだから。