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「何回やっても受かんないよ」と言われた夜

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あの夜のことを、20年経った今でも思い出す。

教員採用試験に落ちた。

その事実を、実の妹に伝えたとき、妹はごく普通のトーンでこう言った。

「兄ちゃんは、何回やっても、受かんないよ。」

たった一言。

でも、「何回やっても」の部分が、ずしんと落ちた。

その言葉は、今の失敗を言っているようで、未来を閉じる。

「次もダメ」「その先もダメ」と、まるごと決めつけてくる。

逃げ道がない。

当時の僕には、引け目があった。

対人関係でつまずくことが多かった。

身体の病気のこともあった。

うまくいかない場面を重ねるたびに、心のどこかで「自分には欠陥があるのかもしれない」と感じていた。

だから妹の言葉は、ただの感想じゃなく、心の弱いところに刺さった。

刺さったというより、縛られた。

「何回やっても」

――その言葉が、僕の頭の中で反響して、しつこくまとわりついた。

逃れられない。

逃れる気力もない。

言葉って、恐ろしい。

思い返すと、似た種類の言葉を以前にも受け取っていた。

障害のある方の更生施設で働いていた頃のことだ。

僕はまだ20代前半。

支援に迷い、あがき、うまくいかない自分に苛立っていた。

怒鳴ってしまったり、過剰に自分を責めたりもしていたと思う。

そんな僕の支援の様子を見て、当時、現場に入っていた年上の方が、ふとこう言った。

「あなた、向いていないわね。」

そのときは、意味がよく分からなかった。

「何を言っているんだ、この人は」と反発心も湧いた。

でも、あとからじわじわと効いた。

“向いていない”という言葉は、相手の全体を裁く。

抜け道がない。

努力や工夫や、その日の状態や、環境の条件

――そういうものを全部すっ飛ばして、存在そのものに判決を下してくる。

そして、妹の「何回受けたって受からない」と、どこか同じ匂いがした。

僕は愕然とした。

よりによって、相手が実の妹だったからだ。

妹は、スイッチが入るとズバズバ言う。

こちらの気持ちや空気とは関係なく、思ったことをそのまま出す。

今も、そういうところがある。

当時の僕は、それに耐えるだけの余裕がなかった。

ふらふらとさまよい始めた。

「病気のせいなのか」

「対人関係の能力がそもそも乏しいのか」

「何度受けたって、俺はダメなのか」

欠陥人間だという“全体像”(もちろん主観だ)が、頭の中で完成していく感じがあった。

縛られる。

その縛りが、ほどけない。

限界のところで、僕は妻に伝えた。

たぶん、自分でもどうしようもなくなって、言葉にせざるを得なかったんだと思う。

妻は激高した。

「そんなことは絶対ない!」

そして妹に対して、強い口調で言った。

「夫が毎朝毎朝、勉強に取り組んでいる姿を知らないでょ。何も分かっていないのに、いい加減なこと言うな!」

細部ははっきり覚えていない。

でも、妻の剣幕だけは覚えている。

妹は泣いて謝っていたと思う。

誰が悪いとか、そういう単純な話じゃない。

妹は妹で、率直に思ったことを言ったのだろう。

ただ、その言葉が当時の僕には重すぎた。

そして妻は、妹を叩きたかったというより、たぶん僕を守りたかったんだと思う。

妻はそのまま、教員採用試験の予備校に僕を連れていった。

正直、当時の僕には「藁にもすがる」感覚だった。

でも、予備校は、独学では得られない学び舎だった。

受験生同士で意見交換ができる。

模擬授業を見てもらえる。

小論文も、「どこに力点を置くか」が具体的に分かる。

精選された学びを積み上げられる。

何より、「一人で抱えなくていい」空気があった。

僕にとってそれは、希望だった。

そこからは、遮二無二だった。

歯を食いしばって、週末に通い続けた。

「負けてたまるか」

「俺は先生になりたい」

劣等感も、病気のことも、対人関係のつまずきも

――全部ひっくるめて、負けたくなかった。

そして迎えた採用試験。

不思議と落ち着いて受けられた。

手ごたえもあった。合格した。

妻に報告したとき、泣いて喜んでくれた。

妹ももちろん喜んでくれた。

妹がそのとき何を思っていたのか

――詮索しても意味はない。

僕の人生なんだから。

僕が決めるんだから。

あの夜、僕の灯は消えかけていた。

でも、完全には消えていなかった。

消えかけていることに気づいてくれたのが、いちばん身近にいた妻だった。

そして、学び直せる環境に乗せてくれたのも妻だった。

今、僕は40代後半。

教員として20年ほど。

子どもの自立を真剣に考えている。

保護者支援の大切さも、チームでやっていくことの意味も、身にしみている。

もちろん、うまくやれているわけじゃない。

毎日毎日、うまくいかないことだらけだ。

それでも、価値を大切にし、踊り続けている自分がいる。

でこぼこした生き方も、有りだと今は思う。

もし、いま「誰かの言葉」に縛られている若い人がいるなら、これだけは伝えたい。

あなたの人生は、あなたが決めていい。

そして、崩れた場所から戻る道は、根性だけじゃなくて、支えてくれる誰かと、学び直せる環境が必要だ。

言葉は人を縛る。

でも、言葉と場所は人をほどくこともできる。

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