若いころの僕は、 自分のことを「人との関わりが下手な、間の抜けたやつ」だと思っていた。
大きな対人トラブルがいくつかあって、 その記憶が、ずっと胸の奥に残っていた。
だから、 「自分は対人関係に向いていない」 そう、半ば決めつけるようにして生きてきた。
それなのに、今になって振り返ると、不思議で仕方がない。
大学を卒業してから、 障害のある人たちの生活支援・作業支援の仕事を8年間続け、 その後、教師になって18年目。
気がつけば、ずっと「人と人の間」に立つ仕事をしてきた。
対人関係が苦手だと思っていた人間が、 なぜ、こんなにも対人関係ど真ん中の仕事を選び続けてきたのか。
当時の僕には、まったく分からなかった。
30代、40代の前半までは、正直に言って、仕事の中で「協働する」という感覚がなかった。
仕事はできるだけ一人で完結させたい。
チームを組んでいても、 足を引っ張りそうな人がいると、正直、距離を取りたくなった。
サッカーでも、仕事でも、 結果がすべてで、 自分の思い通りにいかない人間関係は、 面倒で、煩わしくて、怖かった。
そりゃ、つまずくよな、と今なら思う。
変わり始めたのは、40代に入ってからだった。
3校目の学校で、ある分掌の課長という役割を4年間任された。
いわゆる「中間管理職」の立場だ。
このとき、初めて 「組織」というものに、真正面から触れた気がした。
草案を考え、 人に任せ、 調整し、 形のないものを、少しずつ形にしていく。
そのプロセスが、 驚くほど、すっと身体に入ってきた。
正直に言うと、 やりがいを感じた。
そして、少し恍惚とするような感覚すらあった。
前に出て引っ張るタイプでもない。
カリスマ性があるわけでもない。
でも、 場を整え、役割をつくり、 人が力を出しやすい構造を考えることに、 自分は喜びを感じている。
初めて、 「これ、合っているかもしれない」 そう思えた。
思い返せば、ヒントは昔からあった。
教職員サッカー大会や、バドミントン大会。
僕はいつも、幹事や取りまとめ役だった。
監督という名前はついていても、 実際にやっていたのは、 日程調整、役割分担、場づくり。
決して目立たない。
でも、みんなが楽しめる形を考えることが、 なぜか好きだった。
ただ、若いころの僕には、 それが「自分の強み」だとは、まったく分からなかった。
今になって、ようやく気づいたことがある。
僕は、「人が苦手だった」のではなかった。
苦手だったのは、 目的も役割もない、曖昧な人間関係だった。
何のためにそこにいるのか分からない時間。
自分が何を担えばいいのか見えない関係。
そういう場面で、 僕は不安になり、居心地の悪さを感じていただけだった。
逆に、 役割があり、目的があり、 チームとして何かを成し遂げる場では、 少しずつ、呼吸ができるようになっていた。
もし今、「自分は人付き合いが苦手だ」 「社会に向いていない気がする」 そう思っている人がいたら、 一つだけ、伝えたい。
それは、 まだ、自分の力が活きる「役割」に出会っていないだけかもしれない ということだ。
僕は、それに気づくまで、40代半ばまでかかった。
遅いと思う。
でも、遅くても、線はちゃんとつながっていた。
当時は意味のなかった点が、 今になって、一本の線として見えてきただけだった。
今すぐ分からなくてもいい。
迷っていてもいい。
少し先に、 こんなふうに振り返っている大人もいる。
今日は、それを伝えたかった。
補遺|役割があると、呼吸ができた話
そういえば、と思い出す場面がある。
30代前半のころ、 年度末の教職員送別会で、たまたま幹事役を引き受けたことがあった。
会場の手配をして、式次を考え、座席を決め、BGMを選び、役割分担を考える。
当日は司会進行も担当した。
不思議なことに、その時間は、とても楽しかった。
いつもの忘年会や慰労会のように、「誰と、何を、どのくらい話せばいいのか分からない」 あの居心地の悪さは、まったくなかった。
そこには、明確な目的と役割があった。
自分が何を担っているのかが、はっきりしていた。
その場に“参加している”というより、 “場を成立させる側にいる”感覚だった。
似たようなことは、今でもある。
正月やお盆に親戚が集まる時間。
父母や兄弟と過ごす時間は、空気のようで苦にならない。
でも、妻の親戚との談話の輪の中では、 今でも少し、居心地の悪さを感じることがある。
だから僕は、ある時から役割を引き受けることにした。
料理を担当する。
子どもたちの遊びを考える。
ハンカチ落としや、だるまさんがころんだを提案して、場を回す。
談話の中心にはいない。
でも、場から逃げているわけでもない。
「自分は、今ここで、これをやっている」 そう思えるだけで、不思議と落ち着いていられた。
職場の忘年会や慰労会に行かない、と決めたのも、同じ理由だ。
無理をして参加しなくても、 仕事をきちんとし、日々の関係を大切にしていれば、 対人関係が壊れることはなかった。
浮いた時間とお金で、家族と食事をする。
今は、それでいいと思っている。
こうした日常の出来事を振り返ってみても、 やはり、同じところに行き着く。
僕は、人が苦手だったのではない。
役割も目的もない関係の中で、 自分がどう振る舞えばいいのか分からなくなるのが、苦手だっただけなのだ。
それに気づいたのは、ずいぶん後になってからだった。
こんなふうに、仕事の中でも、生活の中でも、同じ線は、ずっと続いていた。
当時は、まったく分からなかったけれど。