何度も落ちた。
正直に言えば、戦略もなかったし、要領もよくなかった。
それでも、なぜか諦めきれなかった。
最初に教員採用試験を受けたのは、大学4年生のときだった。
今振り返ると、あの頃の僕は、 社会性のなさをそのまま体現したような学生だったと思う。
遊び惚けて、恋愛に傾倒して、 学業は最低限。
興味のあること、楽しいことばかりを追いかけていた。
「モラトリアム」という言葉を使えば聞こえはいいけれど、 実際は、 社会がまったく見えていなかった。
それでも、大学3年の夏だったと思う。
夜遅くまで、母が内職をしている姿を見た。
父は、帰省の時に、僕を喜ばせようと、 釣ってきたうなぎを調理してくれた。
そのうな丼を前にして、 なぜか涙が止まらなかった。
——ああ、俺は何をしているんだ。
そう思ったのは確かだ。
でも、その気持ちは、長く続かなかった。
結局、学業への向き合い方が劇的に変わったわけでもない。
そんな状態で受けた、最初の教員採用試験。
合格するはずがなかった。
27歳のとき、大学時代の仲間と再会した。
彼らはすでに教師として働き、 忙しそうだけれど、どこか生き生きとしていた。
その姿を見た瞬間、 胸の奥で「パン」と音がした。
——何をしているんだ、お前は。
——やるんじゃなかったのか。
——教師になりたいんじゃなかったのか。
そのとき、感情のスイッチが、はっきり入った。
小さな灯は、ずっと消えていなかったのだと思う。
ただ、それまで本気で向き合っていなかっただけだった。
その頃、人生経験豊富な叔父に相談したことがある。
「今やっている仕事、続けたほうがいい」
「実績も積めるし、地に足のついた人生になる」
理屈としては、正しかったと思う。
叔父は、僕の将来を思って、堅実な道を示してくれていた。
でも、僕の感情は、はっきりと「NO」だった。
理由はうまく説明できなかった。
ただ、違う、と感じた。
そして、人生2回目の教員採用試験を受けた。
結果は、 1次試験合格。 2次試験不合格。
模擬授業では、「絵本を読んでください」と言われ、 僕は自分の方に絵本を向けて、ただ読んでいた。
あとから気づいた。
——子どもに見せるんじゃないのか。
当時は、そんなことにも気づけなかった。
それでも、諦めなかった。
3回目の試験も受けた。
仕事を続けながら、独学で勉強した。
結果は、また不合格。
正直、この年のことは、あまり覚えていない。
それくらい、気持ちが削られていた。
妹に言われた言葉だけは、鮮明に残っている。
「兄ちゃんは、何回やっても受からないよ」
胸に刺さった。
自分が欠陥人間に思えた。
それでも、歯を食いしばって、 「来年も受ける」と言っていた。
そこで、妻が動いた。
予備校に連れていかれた。
教員採用試験専門の予備校だった。
そこで初めて、 模擬授業の「見通し」を持つことができた。
戦略を立ててくれたのは、予備校の先生。
その場に立たせてくれたのは、妻だった。
30歳。
人生4回目の教員採用試験。
2次試験では、 自分でも驚くほど、落ち着いていた。
できた、という感覚があった。
そして、合格。
よく言われる。「大学卒業後、すぐ講師をやればよかったのに」
でも、そうは思わない。
当時の僕には、そんな自己肯定感も、覚悟もなかった。
振り返ると、 高校時代にサッカー部を途中で離れた経験が、 どこかで引っかかっていた気がする。
——あのとき、逃げた。
——もう、自分にだけは負けたくない。
それが、 何度落ちても諦めなかった理由だったのかもしれない。
不器用な人生だと思う。
戦略は人に頼り、 覚悟は遅く、 遠回りばかりしてきた。
それでも、 「なにがあっても、自分に負けない」 その気持ちだけは、消えなかった。
40代後半になった今も、この生き方は続いている。
転び、後悔し、改善し、 それでも、また立ち上がる。
もし今、何度も落ちて、心が折れそうな人がいるなら、 これだけは伝えたい。
諦めきれない気持ちがあるなら、 それは、まだ生きている。
不器用でもいい。
泥だらけでもいい。
僕は、そうやって、 ここまで生き延びてきた。
そして今日も、 まだダンスの途中にいる。